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日本米の歴史について

日本へ初めて稲作が伝わったのは今から6000年も昔のことで、すでに卑弥呼の時代には稲作が行われていていました。

初めの日本米は原始米といって、赤紫の長粒米でした。

おそらく中国の福建米が起源とされています。

さて、長い歴史をもつお米は、日本文化にとって重要な役割を果たしてきました。

その最たるものが、米による納税制度です。

そ歴史書を見ますと、701年の大宝律令では土地をすべて国有地にして、6歳以上の男女に一定の田を与えて厳密に租税を課し始めます。

そして奈良時代に個人の開墾田の私有を認め、全国に荘園が広がります。

大地主が小作農家を雇って、所有する田で稲作させるシステムが確立します。

時代劇では国々のレベルを石高で表現していますが、これは豊臣秀吉による太閤検地がもとで、全国の土地面積と収穫量を計り、その国の年貢量(石高)で国力を決めるようになりました。

このシステムは、明治政府の地租改正により納税をお米からお金に変えたことで終了します。

こうしてお米が社会全体に流通するようになると、これまでお米を充分に食べられなかった庶民にもお米が普及し始めます。

第一次世界大戦時には米騒動が起こるまで生産量が落ち込みましたが、戦後は大幅に生産量が増加してお米がどの家庭でも充分に食べられるまでになりました。

なお、1995年の食糧法によって、自主流通米が認められたことをきっかけに、農家ごとに独自のブランドを立ち上げ、よりおいしいお米の研究・開発に拍車がかかりました。

しかし、農業の機械化による生産量の増加と反比例して日本人の米離れが進み、この数十年間は米余りの状態が続いています。

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