江戸時代のお米の流通、買い方についての豆知識
一昔前は米穀店、いわゆるお米屋さんやスーパーなどでお米を買うのが普通でした。現在では、都会ではお米屋さんはあまり見かけませんし、スーパーなどのある程度の規模がある小売店、もしくはインターネットでの注文が主流だと思います。また、お米の直販も増えていて、生産者から直接お米を買う方も多いのではないでしょうか。ここ20年、30年で大きくお米との付き合い方も変わりましたが、ではもっと昔、江戸時代はどうだったのかが今回の豆知識です。
時代劇でもお米を買うシーンはあまり見かけたことがないのではないかと思いますが、まず江戸時代の終わり頃はお米を販売しているお店に出向いて買うといった現在に近いシステムが作られていました。当時はお米屋ではなく搗米屋と呼ばれていましが、読み方は「つきごめや」で、搗米とは現代で言うところの精米です。搗米屋は玄米を精米し、そして消費者に販売していた小売店のような存在と考えてください。ただし、このようなシステムが一般的になったのは江戸時代の終わり頃で、もう少し前はお米はお店で買うものではなく、町中でお米を売っている業者さんを探す形でした。業者さんは杵と臼をかついで町中を歩き回り、お米を求めている人が現れたらその場で精米をするという、かなり過酷な肉体労働です。 時代劇では米問屋が悪者扱いされることもしばしばありますが、当時は旗本や御家人はお米を給料としてもらっていたため、札差と呼ばれる武士の代わりにお米の売買を手掛ける業者が存在しており、金融業者的な側面があったことも悪者扱いされる大きな要因かと思われます。
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